EPISODE W

「復活」「証明」



'93年8月1日付にて遂に、ダイヤモンドDDを正確に言うと、再達成した。

思い返してみれば、クォリファイの4ヶ月目が一番試された。

前の年と同じ様な系列が弱かった時、おそらくエメラルドのままの人とダイヤモンドにいく人の違いはここでなんとかするのかしないかの「紙一重」では!とふと思って、頑張った事を覚えている。
達成のお祝いに8月末に阪本久美子EX主催の「ARTISTIC IMPRESSION RALLY」にゲストスピーカーとして招いて頂いた。
嬉しかった!!
その夜、僕は都内のホテルのスゥイートルームを予約していた。
アフターパーティーの後、そのリビングルームにダイヤモンドlegの仲間が集まってお祝いをしてくれた。
全員ハロートークで盛り上がった。

ダイヤモンドになれる事は証明できた。
この日は僕にとってはゴールではなく始まりだ!!
頭の中はEXECUTIVEになる事でいっぱいだった。
来月(9月)からEX.のカウントがはじまる。僕とみんなのコミットで凄いテンションになっていた。


「一流の世界へ」


'94年6月1日付、エグゼクティブダイヤモンドDD達成(31歳)

遂に憧れのひとつであったEX.ダイヤモンドを達成した。
初参加のダイヤモンドフォーラムの期間中、マウイ島にての達成であった。
系列のリーダーとの国際電話にて達成が決まった瞬間、受話器を置いて、僕は部屋の中で一人で静かに感動していた。
「遂にEXECUTIVEになった!」
当時、毎日がジェットコースターの様なスケジュールでそのまま、マウイに入ったので、正直まだあまり実感は湧いていなかった。

エグゼクティブダイヤモンドへの道のテーマは"FOR YOU"
フロントやグループとのより深いコミュニケーションが求められた様な気がする。


初参加F.I.T.


'94年10月F.I.T.初参加(31歳)

初のF.I.T.にて最後の楽園タヒチへ招待された。
想像をはるかに超えた、ファーストクラスの世界。

なんとこの時は日本からはJALのジャンボジェットがチャーターされハワイからハワイアンエアーがチャーターされた。凄すぎる。
そして、タヒチボラボラ島にては、究極の楽園というものを肌で感じた。
地球ってこんなに素晴らしく綺麗なんだ!!

圧倒的な大自然の美しさ、どこまでも本当に青い(言葉で表現できなくてゴメンナサイ)空と海、サンセットクルーズにての何度もグラデーションが変わっていくサンセットの美しさ。
強烈に印象に残っている。

  



遂に憧れのF.I.T.メンバーになれた。


「超一流の世界へ」


'95年8月1日付 ダブルダイヤモンドDD達成(32歳)

「遂に現実が夢を超えた…」
当時、中島薫DCAがよく言われていた、「こうなる事は分かっていた。」を胸に一歩一歩、毎日、夢中で一生懸命にダブルへの階段を昇っていった。
この会計は、ひとつの“ゾーン”に完全に入っていた。
時を完全に行動がコントロールした。
「こうなる事は分かっていた」という結果に吸い込まれていく様な、夢の中の達成であった。



「ダブル・ダイヤモンド・デー」


'95年10月4日 記念すべき一日の始まり。

朝、エントランスに一台の7mもあるストレッチ・リムジンが迎えに来てくれた。
なんと僕の前に使用されたのはオノ・ヨーコだったそうである。
一年間イメージし続けた世界。
この日が来る事を知っていて、行動し続けた。
まさにデジャ・ブ−の世界。

  

日本アムウェイ本社にて、盛大にお祝いのセレモニーを開催して頂いた。
ホテル・オークラのエントランスにも「岩永昭久ダブル・ダイヤモンド・デー」と掲げられ、食事会の為に二部屋も宴会場が貸し切られていた。準備して頂いたスゥィ−トルームは各国の要人の方が宿泊される部屋であった。感激と興奮で「ボーッ」としているうちに「あっ」という間に一日が過ぎて行った。
本社セレモニーの際、僕がサインアップした申請者のコピーをプレゼントしてくれた。
「日本アムウェイ一同、この日をお待ちしていました。」との言葉をもらった時、心が感動で震えた。
なんて暖かい思いやりがあるんだろう…。

 

  

この日、リムジンは一日中、自由に使える。
多大なる影響を与えて頂いた、薫さん邸へごあいさつと報告をしに行った。
とても喜んで頂いて、本当に嬉しかった。
以前、“ダブル・ダイヤは必ずなれる”とサインして頂いた日が遂にやってきた。
リムジンに乗って、サラリーマン時代、住んでいた寮から会社、そして今に至る迄の過去の自分の住んでいたところを順にまわった。
走馬灯の様に時が流れていった。
ひとつの大きな証明をした。

  

グループの皆んなが盛大なパーティーを開催してくれた。
リムジンが会場に乗り付ける。映画のワンシーンの様であった。

パーティー最後での僕のハロートーク。
あまりにもいろんな事が頭の中に浮かんできて、感激のあまり泣いてしまった。
言葉で表しきれない程の感謝、感激、達成の感動!!

泣くとは思っていなかった。
でも、自然に涙があふれてきた。
Amwayを始めて、初めての達成の嬉し涙である。
くやし涙から嬉し涙!!
最高の涙であった。
自分の限界を超えた達成をした時、人はこうなるんだ…。
そういう“域”(ゾーン)の体験であった。

生涯忘れない一日がまたひとつ、自分の歴史に刻まれた。



ダブルダイヤモンドDDからCROWN DDへ


1998年8月1日付、トリプルダイヤモンドDD・クラウンDD同時達成

豊かさの中からの、想像を超えた「挑戦」の一年であった。

'88年あの「野音で泣いた夜」から10年という時を経て、一番悔しい思いをした事が、
遂にはとても大きな達成につながって行った。

「悔しい想いと成功の大きさは比例する」
10年という歳月を経て、ひとつの大きな証明が成された。

「想いを変えない」
という事が10年も積み重なった時、それは凄い結果となって現れてくる。


夢のステージへ


1998年10月L.A.シュラインオーデトリアムにて
中島薫DCA FAA 50POINTS セレブレーションラリーが開催される。
グラミー賞の受賞者だけが立つ事ができる夢のステージ。



CROWN DDとしてステージに立つ。
まさに夢の様な瞬間であった。


CROWN DAY


1999年7月9日、ミシガン州エイダ本社にて
AKIHISA IWANAGA CROWN DAYが開催された。

エイダ本社が一日中貸し切られ、スティーヴ・ヴァンアンデル会長とポリシーボードメンバーがみんなで出迎えてくれた。
鳥肌が立つ大感動!!
ダブルダイヤモンド時代の僕の想像力でさえ、まったく想像し得なかった世界であった。
「遂にこんな世界までやってきたんだ…」
言葉にできない程の本当に感動的な二日間であった。

あまりに自分に起きている事が凄すぎて、僕はふと「10年前の今日は何をしていたんだろう?」と思った。
帰国後、10年前のスケジュール表を見た。
そこにはパールDD時代の僕がいた。
その日は、ダイヤモンド達成ラリー(渋谷公会堂)の予約に行くと書いてあった。

10年という歳月の出来事のすべてが「本気」という線でつながれた瞬間であった。

「よくやったよ!」
気がついたら、当時、未来が見えない中で「見えないものを信じる力」で、思いきりAmwayをチャレンジし続けていた、自分への言葉をかけていた。
「お前の道は間違っていなかったよ!」と言ってやりたかったんだと思う。


「ありがとう」

「本当にすべてのお世話になった方々やグループの皆んな、そして、いろんな出来事に感謝していた。」

「本当にありがとう」


この日、僕は遂に自分の肖像画と出会った。





岩永昭久のヒストリーは現在も尚、グループの誇れるリーダー達とともに、エキサインティングに続いている。
より輝けるエピソ−ド5に向って…。