EPISODE V

激動期


1988.11月度ルビーDD達成(26歳)

“野音で泣いたあの日”から3ヶ月後
遂にルビーDDを達成した。
後日聞いた現在のフロントDD達の話を聞くとやはり8月からの僕の伝え方は相当いい 方に変わっていたらしい。
分かりやすく言うと、“根拠のない自信”
“一緒に成功したいという情熱”がまわりにどんどん伝染して行ったみたいだ。
本当に成功って紙一重の“選択の連続”である。
泣いて引いて行く人。泣いてより前に出る人。
今となってみれば、こう言っている僕も300万PV(当時)のルビーは少々てこずった記憶がある。というのは、8月に決断して、3ヶ月間は200万PV台で涙をのんだ月があったか
ら…。
UPの家のルビーの達成アワードプレートのリボンをいつもミーティングの帰りにじっと見て、「なりたい〜っ」とさわって帰っていたのを覚えている。
(カワイイけなげな時代だったかな(笑))

ルビー達成月、今でも覚えているのは、デモンストレーションのL.O.C.を落とす靴墨が一気になくなっていった。いつもナベデモに使う、鶏肉、たまご、ほうれん草が小さい冷蔵庫にたくさん入っていた。
なつかしい…。
この月、僕の本当に一緒に成功したかった仲間達がようやく続々とサインUPを始めてきた。


1989年2月度 パールDD達成(26歳)

僕のサクセスストーリーはルビー達成から俄然勢いに乗り始めてきた。

ルビー達成から3ヶ月後の89年2月パールDDを達成する。
(当時あったピンレベル。3人のS.P.が同時に出た状態。)
やはり、ルビーDD(当時300万PV)というピンレベルには、何か、ダイヤモンドDDへのヒントとステップになるものがある様に感じる。

パールを達成した。でも、今会計の目標はダイヤモンドDD達成!!
当時も通過点のピンレベルという意識しかなく、エキサイティングにAmwayを展開して行った。

ルビーDD達成の4ヶ月後には、なんと7系列の仲間達が、S.P.を達成していた。
“野音で泣いたあの日”からわずか7ヶ月後の事である。
ダイヤモンドDDがうっすらと見えてきた様な気がしていた。

とにかく毎日毎日、ミーティングをエキサイティングにやりまくっていた。
優先順位一番にAmway!!というより、本当にそれ以外に興味はなかった。


1989年7月9日(26歳)
“達成ラリーを予約に行ったあの日”


パールDD時代の89年7月9日(後日、この日は記念すべき一日となるのだが)それから1年8ヶ月後の91年3月1日付けでダイヤモンドDDを達成して達成ラリーをしようと決断した僕は、なんと、渋谷公会堂に当時の愛車(?笑)ホンダDJ(50ccの原付)に乗って、予約に行った。

今となって冷静に考えてみれば、無謀にも思えるが、「できるかできないか」より「なんとしても達成する」という神がかったくらいの情熱と、すべてを賭けてチャレンジする意志が僕をかりたてていた。
(良い子は真似しないで下さい…(笑))

情熱ばかりが先走りし、カジュアルすぎる服装(Tシャツ、Gパン)(だってDJだもん=言い訳)だった僕は受付で軽くあしらわれて、おまけに最初はどこかのSTAFFと間違われ、門前払いをくらいそうになった。でも、何度かに及ぶやりとりの末、遂に予約にこぎつけた。


1991年5月18日(土)約束の地は決まった! さあ、行動開始 !!

今はDJ(原付50CC)だけれど、メルセデスの500SLで達成ラリー当日はここに乗り付ける!
心の中で決めていた。


1990年7月度 エメラルドDD達成(27歳)


パールDDからの約一年半は、本当に試された時代であった。
勢いだけではなく、ひとつの安定度やグループに対する思いやりとチームワークが求められていた様な気がする。

エメラルドを達成した。
ダイヤモンドDDを決めたかった僕は、くやしさを交えた複雑な気持ちで表彰に立っていた。
いよいよ9月からはダイヤモンドクオリファイを始める。
91年3月1日付ダイヤモンドDDへの本当のチャレンジが今から始まる。
心の中で強くコミットしていた。




「夢の実現」
1991年4月度ダイヤモンドDD達成(28歳)

中島薫C.A.(当時)と感謝、感激の握手                  感動のフィナーレ

渋谷公会堂でのダイヤモンド達成ラリー

遂にダイヤモンドDDを達成した。
同会計年度にEx.ダイヤモンドを目指していた為、9系列が独立しEx.カウント2ヶ月経ての達成である。
予定通り(イメージしていた通り)渋谷公会堂の達成ラリーにこぎつけた。
当時を振り返って僕がここまでがんばれた理由に本当にいい環境があった。
スポンサーは一気にEXダイヤモンドを達成していたし、ダブルダイヤモンドへ向かっていた。
同世代には山崎拓巳F.C.A.(当時トリプルダイヤ)や北紺守彦C.A.(当時EX.ダイヤモンド)e.t.c.とそうそうたる顔ぶれだった。
しかし、なんといっても、兄弟ラインの大和田剛Ex.がダイヤモンドを先に達成したのが最高の刺激(モチベーション)となった。
いつも、「なんだか今の自分がダサい!!」と、ほとんど怒りにも似た(笑)モチベーションが天を突いていた!!
ダイヤモンドDD達成!!少しは土俵に上がれた。そう思った…。

アフターパーティー会場にて


1991年5月18日(土)
渋谷公会堂達成ラリーは2000名近くの仲間達がお祝いに駆け付けてくれて盛大に開催された。
DJだった車も本当に500SLとなって、当日、会場に乗り付けることができた。
夢がまたひとつ実現した。
スポンサーはもちろん、数多くのUPラインの方々にもお祝いに駆け付けて頂いた。
感謝の気持ちで一杯だった。
Amwayを始めるキッカケとなった中島薫DCA(当時CA)にメインゲストスピーカーで来て頂き、なんとアフターまで御一緒して頂いた。本当に夢が実現した。
(当時はダイヤモンドDD達成ラリー、特に多系列に薫さんが来て頂ける事は異例であった!本当に感謝感激で一杯であった!)
田舎から母親がお祝いに駆け付けてくれた。ずっと反対していた母親が初めて「よくやったネ!おめでとう!これからも頑張りなさい」と感激で涙を流しながら言ってくれた。もちろん僕も感動で泣いてしまった。
1991年5月18日(土)あの時の感謝、感激、感動、興奮、決断…
生涯忘れない。
夢の様な記念日となった。



「逆境・試練」
人生とは本当に試される時期がある。
神様がより大きくなれる器かどうか試しているのかもしれない、と今はそう感じている。
ダイヤモンド達成の一週間後、そして初のダイヤモンドフォーラム参加の一週間前になんと、ダイヤモンドDD認定取り消しという連絡がきた。
(今となっては重要ではないので、理由は割愛する。あなたの成功には一切関係ないので御安心を!(笑!)
ただこの時代の話をなくしては現在の岩永昭久は語れない。)

ショックであった!目の前がまっ暗とはこのことだった。
あれだけの素晴らしいラリーまであったのに…。
起きている出来事の意味がわからなかった。
また、そのときはわかりたくもなかった。
夜中に一人で泣いた。とにかく人生で初めて声を上げて泣いた。
思いきり泣いてやった。

「どうしたらいいんだ…。」


「勇気」
やはり僕は楽観主義者である。
夜中、思いきり泣いている途中で何かが吹っ切れたのを覚えている。
急に「スッ!」と楽になった。
また一から一生懸命やればいい。
「最初は何かに当り散らしたい気持ちの自分がいたが、とにかく何かが「スッ!」と謙虚になっ
た。

「自分に問題があったんだ」
「でもこれで終わりじゃない」
「ひとつ、ひとつ、きちんと全部自分でやらせていただきます」
何がそうさせたのか今でも分からないが、ひとりで、そうつぶやいていた。

数日後、機会を頂いて、薫さん邸に行かせて頂いた。
あれだけのラリーの後、取り消しになったなんて、どう話せばいいんだろう?
「実は…」すべてを話した。
すると薫さんは「あら、かわいそう!でもまた頑張ればいいじゃない!大丈夫よ!」と言ってくれた。
身体が軽くなり、勇気が百万倍になった!!
「もう一度やるぞ!!」深夜、帰宅した後、興奮してグループと電話しまくったのを覚えている。

また「挑戦」が始まる!!


「おいあくま」…
「再挑戦!!

中島薫DCA邸に招いて頂くのと時を同じくした時期にもう一つ忘れ得ない出来事がある。

また「一から始めればいい!」と立ち直っていた僕であったが、やはり、一週間程、心の整理をしている時期があり毎日の様にスポーツジムに通っていた。
ある日、ジムに行く途中、僕の車の前に一台のワゴン車が凄い勢いで割り込んで来た。
本当に危ないくらいの割り込み方でクラクションを思いきり鳴らしたくなる程であった。
その僕の目に飛び込んで来たのは、そのワゴン車の後に書いてある妙な文字であった。
そこには「お・い・あ・く・ま」と書かれていた。
「?」と思った僕がよーく見るとそこには、「ウン…?」
おこるな、いばるな、あせるな、くさるな、なけるな、そして頑張れ!と書いてあった。
その頭文字だけが大きく並んでいたのである。
ちょうど切りよく、信号待ちの間、僕は「じっと」そして「しっかり」その車の標語を見続けていた。

これはもしかしたら神様が僕にメッセージをくれているのかも知れないと思った。
その車は○○商店と書いてあり、その店の家訓みたいに書いてあった。

おこるな、いばるな、あせるな、くさるな、まけるな
後で聞いた話ふぁと、この項目の波動を出すとよくない=あくまがよってくる、という意味だそうだ。

僕はその車が小さくなっていくのを見ながら、「ありがとう!」「一歩一歩がんばるよ!」と声に出してつぶやいた。

人には転機というものがあり、その時になんだか不思議な「キッカケ」があるというけれど、まさにその瞬間だった様な気がする。
人生でその車は一度しか僕の前に割り込んできていないのだから…

「より大きな成功でステージに立つ!」
「再挑戦」の日々がこの日から猛烈に始まった!




EPISODE3 END
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