EPISODE U
「運命の日」
1986年10月
25歳の時、サラリーマンである事の将来性に不安と不自由さを感じていた僕に、唐突に(今となっては必然であった)一本の電話がかかってきた。
「Amway?」「何それ?」「大丈夫?」
スポンサーのSHINとの電話はこんな感じで始まった。
深夜、当時、彼が住んでいた壁柄が豹柄のせまいアパートのこたつの上で、Amwayのマーケティングプランを聞いた。
印象と真実のギャップに驚かされた。
「この話が本当になったら凄い事になる!」
直感的にそう思い、その場でサインUPをした。
チャンスというものは、突然やってくるものなのかもしれない。
「本気で決断した夜」
1987年8月
1987.8.29-30YMCA御殿場東山荘にて、F.W.S.が開催された。そこにメインゲストスピーカーで登場されたのは、中島薫C.A.。当時C.A.を達成されたばかりの月で僕は最前列で聞いたこともあって勝手に運命を感じてしまっていた。
約1時間20分に及ぶ超熱く素晴らしいスピーチで、もう場内は完全に沸点を超える異様なテンションに包まれ、僕は本気モードのスイッチが完全に入ってしまった。
すべてを賭けてAmwayをチャレンジする決断をした。
Tすべてはここから始まったU
僕のサクセスストーリーの原点はここにある。

「D.D.達成」
1987年11月度D.D.達成
本気でスタートして、ほぼ1ヶ月でS.P.
3ヶ月でD.D.(当時は3ヶ月でD.D.だった)という少々ハイペースでハードなところもあったが、D.D.を達成した。
それと同時にスポンサーがダイヤモンドD.D.へのクォリファイをスタートした。
僕にとっても、サイドビジネスでのこのスピードでの達成は結構ハードなものがあった。
睡眠時間を削った。遊びはお預けにした。夢を実現する為には何か犠牲にするものがあってもいい。むしろ人生でそういう時間は必要だ!いつもそう思っていた。
心地よい緊張感があり、楽しくてとてもエキサイティングな毎日であった。
D.D.達成、嬉しいというよりは気持ちはT次UTNEXTUへ向かっていた。

寮を出たあの日
26歳3ヶ月。Amwayを本気で始めて半年後のD.D.の時代に遂にフル・タイムになる日がやってきた。
今となって振り返ってみても会社を辞めて、独立するという人生の中でも大きな転機となった時である。
さすがにいろんな事が頭をよぎった。
「本当にフルタイムで大丈夫かな?」…e.t.c.
しかし、すでに答えは決っていた!
T人生一度きり、悔いのない様に、思いきりやってやる!U
T疑問に思いながら毎日を過ごすよりも、夢に向って思いきりチャレンジをしたい!U
88年2月7日、一台のトラックに当時のごくありふれた家財道具を積み込んで寮を出た。粉雪のちらつく朝だった。
西葛西から代々木に向う途中の高速道路は渋滞していた。
その車の中で唐突に運転手さんが僕に話しだした。
「岩永くんはいいねぇ。」「その歳で本当にやりたい好きな事にチャレンジする為に会社を辞めるんだって。」
「僕はいつか何かやりたい何かやりたいと思いながらとうとうこの歳になっちゃったよ。
今、課長でね。あと3年で退職なんだ。」
「頑張りなよ!」「いいねぇ。」…
その時の僕にとっては、まさにタイムリーで且つ、とても衝撃的な言葉であった。
ジーンとくるものがあった。
今、考えてみれば、神様が言ってくれたのかもしれない。
「人生、チャレンジをしたくてもできない人もいる中で、
僕は好きな事が思いきりできるなんて、なんて幸せな事だろう!」
「必ず成功してやる!」
この時、心の中で堅く誓った。
成功をつかめるかどうかって、ちょっとした前に出る勇気があるかどうかかも知れない。
たとえ99%の人が立ち止まったとしても、成功を手に入れるんだろうなぁ!」
代々木の新居に到着した。
他しか20個口くらいの荷物を階段で6F迄、一人で運び上げた。
粉雪のちらつく2月7日。
TガラーンUとした、部屋に荷物をやっとの思いで入れ終わった。
薄暗い部屋の中でなんだか一人で燃えてきた。
「何かがいよいよ始まる!」予感がしていた。
とうとうフルタイム!!
人生賭けてチャレンジしよう!
一人で武者震いしていた。
![]() |
![]() |
|
![]() |
|
野音で泣いたあの日
88年8月9日
スポンサーのダイヤモンド達成ラリーが日比谷野外音楽堂で華々しく開催された。
ゲストスピーカーは波田啓次郎&英子(当時EXダイヤモンド)、中島薫(当時CA)であった。
スポンサーのはからいでホッテストスピーカーとして2組がなんとゲストスピーカーとして
野音のステージでスピーチをした。僕の兄弟系列にあたる小池美佳(当時DD)と大和田剛(当時DD)である。
当時の僕のグループ状況はルビーDD(当時300万PV)を目指しながらも
DDのクオリファイをなんとか毎月やっている試されている時代であった。
ゲストスピーカーに選ばれたかったけど、当時のグループ状況では選ばれない事を自分でも知っていた。
兄弟ラインの皆んなが、何らかの役割でステージのそでで立っている側で、
僕はステージの袖でL.O.C.のとても大きなアドバルーン(オブジェ)を風で吹き飛ばされない様に支える役割をしていた。
スポンサーのダイヤモンド達成をステージ上でお祝いできなかった事が、僕にとってとても悔しかった。
何だかみんなから大きく取り残されている様な気がして、まだ力を出し切れていない自分に本当に腹がたった。
この頃の僕のフロントは本当に一緒に成功したい昔からの仲間は、まだ誰もサイン・アップしていなかった。
ラリーがすべて終了して、アフターミーティングのホテルに向った。
雨が降っていた。
ホテルの駐車場で車を停めた。
自分に悔しくて自然に涙があふれ出てきた。
「悔しい…」「本当に悔しい…」空を見上げて一人で泣いた。
「こんなところで立ち止まってたまるもんか」
「今に見ていろ」
「アドバルーンを支える裏方(脇役)をやる為のAmwayを選んだんじゃない」
この時、自分への怒りの似た、反動パワーが炸裂した。
「この日の事は、一生、忘れない…」
「この想いは、すべてAmwayで成功して、借りを返してやろう」
「野音で泣いたあの日」今でも鮮明に覚えている。
岩永昭久の魂に、遂に火がついた。
TTRY OR CRYU「決断の時」のテープの英語名である。
![]() |
![]() |
|
EPISODE2 END
GO! EPISODE3